2026年4月29日
【母の日】独眼竜も謙信公も、実は「お母さん」が大好きだった!?米沢の歴史と贈り物のお話

こんにちは!道の駅米沢のスタッフです。
もうすぐ母の日ですね。 「今年は何を贈ろうかな」と売場を眺めていたら、ふと米沢ゆかりの武将たちのことが頭に浮かびました。
実は米沢にゆかりのある戦国武将たちって、意外と(?)お母さん想いのエピソードが多いんです。今日は、スタッフがちょっと気になった「歴史の中の母子物語」をお届けします。
1. 遠い異国からお土産を。伊達政宗公と義姫
米沢城で生まれたといわれる伊達政宗公。 戦国時代の厳しい親子関係のイメージもありますが、実は心温まるお手紙のやり取りも残っているんです。
政宗公が朝鮮へ渡っていたとき、日本にいた母・義姫から「お金と和歌」が届いたそう。これに感激した政宗公は、現地で一生懸命お土産の「木綿」を探して送り、「早くお母さんに会いたいです!」なんて素直な気持ちを書き送ったといわれています。 天下を狙う武将も、遠い異国ではお母さんの優しさが恋しかったのかもしれませんね。
2. 米沢を見守る「魂」のそばに。上杉謙信公と母の教え
米沢藩・上杉家の祖である上杉謙信公。 ご本人は新潟(春日山城)で活躍された方ですが、実は謙信公の「御遺骸」は、上杉家が米沢に移るのと一緒にお引越ししてきたといわれています。
江戸時代、歴代の藩主さまは米沢城内に祀られた謙信公を、ずっと大切に敬ってきました。その謙信公が「義(思いやり)」を大切にするようになったのは、一説には信心深かったお母さんの教えがあったから、とも伝えられています。 米沢に流れる優しい空気は、そんな昔のお母さんの教えが繋がってきたもの……なのかな、なんて想像してしまいます。
3. 血の繋がりを超えた絆。お船の方と定勝公
米沢藩を支えた名家老・直江兼続の奥様である「お船の方」。 彼女は、早くにお母さんを亡くした若君(後の二代目藩主・定勝公)を、お母さん代わりになって大切に育てたそうです。
定勝公は大人になってからも、お船の方を本当のお母さんのように慕い続けたのだとか。血の繋がりだけじゃない「家族の絆」が、この城下町には昔からあったのかもしれませんね。
歴史上の英雄たちも、きっと私たちと同じように「お母さん、ありがとう」と思っていたはず。 今年の母の日は、米沢の美味しいものと一緒に、あなたの優しい気持ちを届けてみませんか?
道の駅米沢でお待ちしております!
